僕の音楽遍歴について
OTOSYSTEMです。
このブログを書いている奴は一体何者なんだということで、
僕のこれまでの音楽経験をざっと振り返ってみようと思う。
- ①幼少期から小4【音楽的原体験】
- ②小5から中2【ポップス/ビートルズ】
- ③中2から高3【ハードロック/パンク/メロコア/グランジ、オルタナ/チップチューン/ジャズ/アイドル】
- ④大学以降【テクノ/インディーロック、ポップ/ヒップホップ】
- ⑤まとめ
①幼少期から小4【音楽的原体験】
まずは、幼き日の音楽との関わりについて。
もともと両親が音楽好きで、父がギター、母がピアノを弾けたので、
家庭内の音楽環境は整っていた方だと思う。
車の中ではサザンやビートルズ、ストレイキャッツなんかがよくかかっていた。
3歳から6歳まで某音楽教室に通っており、
ピアノ…というよりエレクトーンをやっていた。
姉が先に通っていたので、自然な流れで自分も通うようになり、
それなりに楽しくやっていた記憶がある。
が...
丁度両手で弾けるようになる直前の時期、引っ越しの関係で音楽教室に通えなくなってしまった。
今となっては、この時ピアノを続けていればどんなに良かったことかと思うが、
環境が大きく変わってしまったのでやむを得なかった。
***
小3の時、学習発表会で「聖者の行進」のリコーダー演奏をやることになった。
マーチっぽさを演出するために、バスドラム、クラッシュシンバル、スネアドラムを追加することになり、
担任の先生が希望者の中からオーディションをやることになった。
僕はなんとなく、スネアドラムの見た目にカッコよさを感じ、
オーディションに参加してみた。
マーチなので当然ながら求められるのは「ンッタ!ンッタ!ンッタカタッタ!」というフレーズ、「裏打ち」だ。
これが一般的な小学3年生にはなかなか難しい。
先生の審査により、僕が最も裏打ちが上手いという理由で無事スネアドラムのパートをゲットした。
恐らくこの頃から、ぼんやりと、楽器や音楽全般に対する興味が湧き始めたような気がする。
なんで楽器のパートを決めるだけなのに、オーディションが必要なのだろうか。
最初にやりたいって思った人がやるのではダメなのか。
なぜ僕は裏打ちを上手くできたのだろう。
幼少期に音楽教室に通っていたから?
はたまた単なる偶然か。
そんなところから僕の音楽哲学はスタートしていたのかもしれない。
②小5から中2【ポップス/ビートルズ】
小5になった頃、丁度姉が高校へ入学した。
姉が祖母に入学祝としてMDコンポを買ってもらったのが羨ましくて仕方なかった。
姉ばっかりずるいと親父に駄々をこね、
SONYのMDウォークマンを買ってもらった。
当時はアニメNARUTOの主題歌を調べてCDを借りてきては、
姉のMDコンポを拝借し、MDに落として何度も何度も同じ曲ばかり聴いていた。
ついでに、姉が当時好きだった嵐のベスト盤も聴いていた。
その頃、宮部みゆきのブレイブストーリーの映画が公開され、
Aqua Timezというバンドを知ることとなった。
学校でもAqua Timez「決意の朝に」は大人気で、
ここから僕はAqua Timezにドはまりすることとなる。
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ほぼ同時期にラジオを聴くようになる。
福山雅治のTalking FM、School of Lock!、ジェットストリーム、ラジアンリミテッドDX(デジタルクロス)あたりだ。
あとは熊本ローカルの夕方の音楽番組。
また、姉が嵐をチェックするためにMステをほぼ毎週のように録画していた。
姉が高校を卒業して進学で実家を離れてからは、
音楽番組を隈なくチェックするのは僕の役割になった。
うたばん、MUJIC JAPAN、ROCKET COMPLEX(熊本ローカル)等など、
当時は沢山の音楽番組があった。
うちはスカパーは契約していなかったが、たまの無料放送の時には見ることができた。
その時は番組表をチェックして、ちょっとでも気になるアーティストを見つけたら全部録画した。
この頃には「自分は音楽が好きなんだ」ということに確信を持てるようになっていた。
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中1でクラスの友人とたまたまビートルズの話になり、
「この年でビートルズの良さが分かる自分スゴイ」的な、
いかにも思春期の男子中学生的なアレを経てビートルズやオアシスを聴き始める。
親父がもともとギターをやっていたと前述したが、
ここでビートルズを聴いていなければ、僕はギターを始めていない。
何となくごちゃごちゃした邦楽に比べ、
ビートルズの曲はひどくシンプルですっきりして聴こえたのだ。
そのシンプルさに魅了された。
そうだ、楽器を鳴らせば音が出るんだ。
曲って音からできてるはずだ。
親父のギターをちょっと拝借してみるか。
そんなところから僕のギター人生はスタートした。
③中2から高3【ハードロック/パンク/メロコア/グランジ、オルタナ/チップチューン/ジャズ/アイドル】
ビートルズを少しずつ聴き始めて、
はやくも「物足りなさ」を感じてしまった。
なんかこう、もっと最近の曲ってパンチがあるような。
そんななか、親父がVan HalenやMR.BIGを聴いてみろと言ってきた。
親父のCDラックを漁って聴いてみて、驚愕した。
ギターってこんなに速く弾けるのか。
僕が求めていたパンチってこれだ。
高校の入学祝で念願のエレキギターを買ってもらえることになった。
当時、ポールギルバートに憧れていた僕は絶対Ibanezにしようと決めていた。
実家は田舎にあるのでギターの試奏ができる楽器屋までは車で片道2時間かかる。
ワクワクが止まらなかった。
楽器屋でいくつかのアイバニーズを試奏して、
最終的に、Ibanez RG350EXZに決めた。
運よく中2の11月にiPod Touch 第3世代を入手できたので、
当時からYou Tubeで教則動画を見るようになっった。
ポールギルバート先生には大変お世話になったが、
その割に速弾きは今でも苦手だ。
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高校は色々あって吹奏楽部で打楽器をやることになった。
帰りは高校の向かいのレンタルショップで中古のCDを「ジャケ買い」して帰った。
ここでポップパンクにメロコア、グランジ、オルタナなどの分野をかなり開拓した。
学ランの胸ポケットに入れたiPod Touchの貧弱なスピーカーから流れるラウドなロックをBGMに、
片道7キロの家路を自転車で駆け抜ける疾走感は今でも忘れられない。
それから、AKBやももクロといったアイドル音楽も好んで聴いていた。
もっとも、はじめのうちは級友たちと話を合わせるために聴いていたのだが、
いつの間にかアイドル音楽の実験的な音楽性にドはまりしていた。
高校も終わりごろになると、なんとなく作詞したり、オリジナルのフレーズを作ったりするようになった。
④大学以降【テクノ/インディーロック、ポップ/ヒップホップ】
大学に入ってからは、意識的に音楽の引き出しを増やすため、
インターネットラジオを聴いていた。
そこで出会ったのがWolf Alice / Moaning Lisa Smile。
言わば、「ハイファイなグランジ」みたいな、
矛盾を内包した美しいサウンドだと思った。
ここから海外の新しめの音楽を探して聴くようになった。
Spotifyも登場し、好みの音楽をディグるのが容易になった。
高校時代、洋楽パンクで駆け抜けた反動だろうか。
自分はゆったりした曲の方が好きかもしれないということに気づいた。
改めてオアシスを聴いてみたら、めちゃくちゃ良い。
オアシス→ライド→マイブラ的な流れでシューゲイザーにも辿り着いた。
圧倒的轟音。
ノイズに対する美的感覚。
渦巻く感情。音。音――。
***
高校時代からダフトパンクくらいは聴いていたが、
大学先輩の影響でアシッドハウスやテクノもディグるようになった。
卒論はヒップホップのビートの研究をした。
詳しくはまた今度書きたいが、J.Dillaのビートについての研究だ。
大学はメディアを学ぶ学科だ。
大学での学びを通じて確実の僕の中の音楽は深まった。
そういう話をもっと沢山したいからこのブログを始めることにした。
⑤まとめ
ここまでだらだらと書いてしまったけど、
最後まで読んでくださった方ありがとうございます。
細かいとこまで書いてるとキリが無くなってくるが、
ざっくり語るとこんな感じである。
まだまだ新しい音楽に出会いたい。
僕自身、趣味で作曲をやっているが、
新しい音楽を作り出したい。
変わらずにいるためには、変わり続けなければいけない。
これからも素敵な音楽に出会えますように。
OTOSYTEM